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日本大学学長告辞・日本大学文理学部長祝辞

2021.03.01 Mon

本日令和3年3月1日,令和2年度卒業式が挙行されました。
卒業式の日本大学学長告示・日本大学文理学部長式辞を掲載いたします。

 

令和二年度 日本大学櫻丘高等学校 卒業式 告辞

本日,令和二年度日本大学櫻丘高等学校の卒業式が挙行されるに当たり,日本大学を代表して卒業生の皆さんにお祝いの言葉を申し上げます。卒業生の皆さん,卒業おめでとうございます。皆さんが高等学校所定の教育課程を修了されたことに,心からお祝いを申し上げます。
昨年の春先から始まった新型コロナウイルス感染症の流行拡大は,学園生活そのものに多大な影響を及ぼし,日々の勉強や課外活動に支障が出るなど,皆さんは大変不便な思いをされたことと存じます。そのような状況の中,皆さんは日々の活動に真剣に取り組まれ,この日を迎えることができました。これからも自信をもって,前に向かって進んでいってほしいと思います。
保護者の皆様方には,お子様の御卒業を心よりお喜び申し上げます。これまで,本校に対して深い御理解と多大な御協力を賜り,厚く御礼を申し上げます。
また,教職員の皆様には,学業はもとより,課外活動においても,日々,生徒たちに温かい御指導をいただき,感謝いたします。
皆さんの新たな出発の日に当たり,「立志」という言葉について話をさせていただきたいと思います。現在の山口県萩市にあった松下村塾で,日本大学の学祖山田顕義伯爵は,師吉田松陰先生から教えを受けましたが,その教えの一つに,「士規七則」があります。「士規七則」とは,「武士が身に付けておかねばならない七つの決まり事」という意味ですが,松陰先生はその文章の最後に,すべての事の源は「立志」すなわち志を立てることであり,次に良き友を選び,書物を読んで古来聖賢の考えに触れ,自分自身でそれをよく理解するように,と述べています。
それでは松陰先生の言う「立志」とはいかなるものでしょうか。山田学祖が元服を迎えるに当たり,松陰先生は「山田生に与ふ」と題した漢詩を扇の面に揮毫して学祖に授けました。その扇には「志を立てるには人と異なる大きなものがよい。くだらぬ人間を相手にする必要はない。くだらぬ人は,亡くなった後の評価も考えず,ただ目の前にある安易な道を選んでしまう。百年は一瞬にて過ぎ去ってしまう。君たちはひとときも時間を無駄にしてはならない」と書かれています。すなわち松陰先生のいう立志とは,自ら人とは違う大きな目標を立てることであり,その達成のためには,凡人の誘いに惑わされることなく,夢に向かって一直線に進むことが大事であると山田学祖に諭しているわけです。松陰先生がここに示された「立志」の考えは,本学の教育理念「自主創造」とも相通じています。「自主創造」とは,「自ら考え,自ら学び,自ら新しい道をひらく」ことを意味し,目標を定め,そのために学習し,そして自らの道を切り拓いていくことです。
さて,このたびの新型コロナウイルス感染症の流行は,今までの社会常識を一変させました。グローバル社会と言いながら,一瞬にして世界の人の往来は止められ,国内でも一時人々の移動すら制限される事態となりました。皆さんもオンラインによる授業を受けられたように,教育,そして一般社会においてもリモートによる業務遂行が当たり前になりました。そして,世界のビジネス界,教育界では,オンラインによる業務遂行が問題なくできることを知り,飛行機に乗ってわざわざ会いに行かなくとも,コンピュータ画面上で,ほとんどのことが執行できる便利さを体感したわけです。新型コロナウイルス感染症の流行は,一遍に地球全体をAI社会へと変えていきました。今日卒業される皆さんが出て行く社会は,否が応でも,AI技術の習得が必要です。皆さんは,今までの常識が通用しない,この新たなAI社会の中で生きなくてはいけません。技術の習得はもとより,今こそ「立志」すなわち将来の目標を立て,自分は何をすべきか,そのためには何を学ぶ必要があるか,そして,新たな社会にどのように適応していくかについて真剣に考えてほしいと思います。
保護者の皆様,お子様は,今日から新たなステージに上っていきます。お子様は,自分の将来について様々な形で悩み,模索しながら決定していきます。どうかお子様の姿を温かくお見守りいただきたいと思います。
卒業生の皆さん,将来の目標をしっかりと立て,自ら学び,努力して,素晴らしい未来を手に入れてください。皆さんのこれからのますますの御活躍を心から祈念して,本日の告辞といたします。

令和三年三月一日

日本大学学長
日本大学短期大学部学長  加藤 直人

 

 

令和二年度 日本大学櫻丘高等学校 卒業式 祝辞

櫻丘高等学校三年生のみなさん,卒業おめでとうございます。保護者のみなさまにも,お子さんの高等学校卒業に際して,心よりお祝いの言葉を申し上げたいと思います。
一年前,みなさんの先輩たちの卒業式は,新型コロナウイルス感染拡大のため,残念ながら,学年で統一したセレモニーができず,クラスごとの挙行となりました。しかし,それでもまだ,そのときは夏までには何とか収束するのではないかと希望的な観測を抱いていました。ところが,夏どころか,秋になっても冬になっても収束せず,今日に至っています。まだ,しばらく忍耐がつづくでしょう。特別な事態も一年以上もつづけば,次第に日常になってきてしまう。そういう日々をみなさんは過ごしてきました。
しかし,こういう時期こそ,だいじな蓄積の時間でもあるのです。みなさんは,学校以外に外出を控え,遊びにいくこともはばかられるような時間をどのように過ごしましたか。平穏なふだんの生活がつづくとき,私たちはつい,うかうかと日々を過ごしてしまいます。刺激に溢れたものがまわりにはたくさんあるからです。しかし,それらにじかにアクセスできなくなり,屈託し,鬱々とする時間が続きました。そのとき,ただゲームをして漫然と過ごしたのか,せっかくのこの時間を自分の内側に教養をためこむことに使ったか。おそらく生涯はそれによって大きく変わるでしょう。
このときとばかりに本をたくさん読んだ人,行けなくなった演劇や映画をデジタル画像で見つづけた人,ライブハウスには行けなくなったけれど音楽に集中した人は,将来にわたる大きなエネルギーを身につけたと思います。それは学校では得られない,学びの時間だったはずです。それが生きたものになるのはだいぶ先の,時間が経ってからのことでしょう。教養は,すぐに使えるスキルとは違う。即効性はないけれども,じわじわと効いてくる漢方薬のようなものです。
大人になると分かります,目先の流行やそのとき魅力的に思えたものは,一〇年後,一五年後には古びて,忘れられていくことを。次々に塗り替えられ,新しさを競うことで流行は生まれます。ところが,人は変化し,年を重ねることが避けられない。年を重ねること,老いることが,人生を耀かせることでもある。これは色即是空,空即是色という言葉に端的に示されている仏教の基本的な考え方です。永遠の不死の状態では,日々の朝焼けの美しさを味わうことができない。いやおうなく時は過ぎてゆく,だから美しいのです。
スキルを身につけることは重要ですが,人生にはスキルだけではとらえられない複雑な陰翳があります。その人,その人の心や身体に折りたたまれた傷や不安,動揺はさまざまに形を変えて,甦ってきます。あのとき,あの場所で自分は何をしたのだろうか。何を考えたのだろうか。なぜ,あのようなことが起きたのか。経験の意味が見えてくるには,どうしても時間の経過が必要です。教養は,その意味の発見をうながす分光装置のようなものです。
「鬼滅の刃」に夢中になった人は,泉鏡花や内田百閒の小説を読んでみてください。鬼や妖怪との闘いが描かれているわけではありませんが,森のなかに迷い込んだときのおののきや,夢や幻が心の内側に入り込んでいく瞬間がみごとに描かれています。簡単に理解しがたい,わからなさの手応えが残るでしょう。それが私たちの感覚をとぎすまし,思考を鍛える砥石になるのです。
映画「花束みたいな恋をした」の,あまりにも普通の,しかし,決定的に取り返しのつかない時の流れに涙した人は,脚本家の坂元裕二の他の作品を見てみてください。何気ない言葉の数々がどれほどドラマを内包しているかがわかるはずです。そしてその坂元が憧れた中上健次の,対極のような小説をのぞいてみるといいでしょう。悲しいこともたくさんありますが,同時に世界は無数の耀きに満ちてもいるのです。
高校生活はこれで終わります。ここからみなさんは,長い長い人生の一歩を歩み始める。おそらく,さまざまな山があり,谷があるでしょう。今回のようにコロナウイルスによるパンデミックは,世界中と共有する異例な体験になりましたが,今後はだれとも共有できない,厳しいつらいこともあるかもしれません。しかし,人間は世界の不条理や受け入れがたい現実,理不尽な運命に向き合いながら,それを乗り越えてきました。そうした歴史のなかで生み出された言葉や表現をぜひ友人として支えにしてください。
自分の感覚を大事に,しかし,閉じこもらず,狭い思考に陥らず,柔軟で自由闊達な想像力を身につけていかれることを心より願って,私からの祝辞とします。

令和三年三月一日

日本大学文理学部長  紅野 謙介